音楽という分野、殊にピアノの演奏というものに関しては、その才能は成長の極めて早い段階で完成します。 大人になってからピアノを始める事はとても文化的で素晴らしい事だと思いますが、ある一定以上のレヴェルを目指そうとすれば、幼少期に、いかに内容の濃いレッスンを受けていたかという事が重要になります。

 「何歳からピアノを始められたのですか?」 と質問される事は少なくありませんが、それに対して、「ピアノを始めたのは4歳の頃でした」 と答える
事で、驚かれる方は殆どいらっしゃいません。 質問される方の多くは、予め先に書いたような答えが返ってくるであろう事を予測しているのでしょう、殆どの方は「やっぱりね」という感じで頷かれます。 けれど、「ただし、ただ習いに通っていただけで殆ど練習はしなかったので、小学校4年生頃まではバイエルをしてましたし、楽譜も読めませんでしたよ。」と付け加えると、皆さん驚かれます。 先生から見れば、レッスンに通ってくるものの、言う事を聞かず、練習もしない、さぞ「面倒な」生徒だった事でしょう。

 小学校5年生の時、学校の授業で、リストの「ラ・カンパネッラ」が流されました。 それまでも、家の中にはクラシック音楽が流れていましたが、その音楽は衝撃的でした。 興奮した当時の私は、レッスンに行って先生にせがんだのです。 『次はラ・カンパネラがしたいです!』 せいぜいブルグミュラーがやっとの生徒にそんな事を言われて、先生はビックリされたでしょうが、「そうね、やりましょうね。 でも、あの曲は難しいから、その前に●●の曲をやったら、その次くらいには出来るかしら?」と仰ったのです。 結局、「その前にやったらラ・カンパネッラが弾けるようになる“かも知れない”曲」は、10曲になり、20曲になり、上手く乗せられている内に、ピアノの魅力に開眼する事になったのです。 ただ、ピアノの魅力に開眼したとはいっても、すぐに「専門家」を志すようになったわけではありませんでしたし、常にサボっていたために、基礎が全く欠けてしまっていたのです。 「テクニックを一から勉強し直しましょうね」などと言えば、ピアノが嫌いになるかも知れないと思われたのでしょう、レッスンは何よりも「楽しむ」事が重視されました。

 ピアノが楽しめるようになってくる内に、「もっと専門的な勉強がしたい」と思うようになり、中学生に入学した頃から、「先生の先生」のレッスンに通うようになりました。 お宅までは、総武線の快速と黄色い電車を乗り継いで、新宿からは小田急線に乗り換え、降りた駅からは更にバスに乗って・・・ 片道2時間半の道のりでしたが、それは本を読むのには格好の時間でした。 高校を卒業するまでの間に、ドイツ文学やフランス文学などの主要な文学作品は殆ど読みきり、自然な知識として身に付けられた事は、音楽の道に進む上で大変な財産になりました。

 さて、そのレッスンですが、「基礎が全く駄目、最初からやり直しね」という事で、課題に与えられたのはハノン・ピアノ教本、ツェルニーの30番練習曲、賛美歌というものでした。 勝手流とは言っても、ショパンの「革命のエテュード」などを弾いていた身に、その課題はショッキングなものでしたが、挫折感を感じている暇もなく、集中して練習に取り組みました。 ついにピアノの基礎を学び始める事になったわけです。 入学した地区の中学は、当時あまり穏やかではなく、生徒が非行にはしらないようにという事も有って、部活動は全員必須になっていましたが、部活動などに参加していたら、音楽の道に進めない事は火を見るより明らかだったので、「どうしても入らなくてはいけないというのなら入部届けだけは出しますが、一切参加する気は有りません」と直談判して、部活動に参加しませんでした。 朝は必ず1時間練習してから学校に行くようにしていましたし、学校から帰ってきてからは、たまに家族で美術館に出かける事が有ったくらいで、塾に行くか、演奏会に行く以外の日に、遊びに出かけてピアノの練習をしないという事は殆どなかったのではないかと思います。 それでも、小学校時代に一生懸命練習しなかったツケは大きく、テクニックの面ではずっとコンプレックスを抱える事になりました。
≫ 私のピアノ体験 (2)
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