や公開レッスンを聴きに出かけていましたが、そんな折、入学した県立高校で年に1度行われていた公開レッスンに、東京音楽大学の三浦捷子先生が招聘されました。 それまでにも、内外を問わず何人もの先生のレッスンを聴講していましたが、三浦先生のレッスンほど共感を覚えた事はなく、色々な方に仲介をして頂いて、高校2年の終わり頃から、三浦先生のお宅に通うようになりました。 そして、そのレッスンで、それまでの先生のもとで、「基礎をやり直した」と思っていたのは、「最低限の基礎」を習ったに過ぎず、「専門的な勉強」に踏み込むまでには至っていなかった事を知る事になったのです。
受験まで、約1年という段階でしたから、とても一から基礎をやり直すような時間は無く、それまでに持っていたもので、どうにか「メッキ」をかけて受験に臨む事になったわけです。 大学には何とか入学する事の出来ましたが(希望していたピアノ演奏家コースには落ちて、ピアノ科での入学になりました)、入学して初めてのレッスンは、周囲の友達がショパンやリストの曲を与えられる中で、私に与えられたのはハノンの7番のみでした。 それも、通して演奏するのではなく、最初の1小節で止められて、手のポジションや、指の動かし方、下ろし方・・・。 そして、2回目のレッスンもハノンの8番「のみ」。 曲を与えて頂けない事はショックでしたが、7番のレッスンを活かして、自分なりには良く準備したつもりでした。
「だいぶ良くなったじゃない! じゃあ次のレッスンは・・・」
ようやく曲を頂けると思ったら、3回目のレッスンはハノンの1番から60番。 ご自宅に伺ってのホームレッスンでしたが、こうしたレッスンを通して、「テクニックを身に付けるための、練習の仕方」を教えて頂く事が出来た事には大変感謝しています。 この体験が無かったら、現在ピアノを弾いている事はなかったかも知れません。 その後は、色々な作品を勉強する中で、音の出し方や音色の作り方、レガートの奏法などを学びましたが、この段階で、それらを表現するための「下地」がようやく出来上がったというわけです。 在学中から、海外の音楽院の教授など、色々な先生のレッスンを受けてきましたが、レッスンによって解釈の幅が広がったり、音色が増える事は有っても、基本的な要素を変える必要は無くなりました。 ようやく、ピアノを弾く「スタートライン」に立つ事が出来たのです。
大学に入学した頃から、ゆくゆくは(演奏家ではなく)指導者になりたいと思うようになりました。 勿論、今でも、年に20回前後は舞台には立ち続けていますし、常に「今よりももっとピアノが上手くなりたい」、と思っていますが、それは、生徒から目標とされる先生で有りたいと思うからです。 それまで受けてきた先生のレッスンは、口頭での注意を受ける事が多かったのですが、正直なところ、それは先生が何を言わんとしておられるのか、はっきりと意図を汲む事が出来ないという歯痒さも感じるものでした。 当時は、ピアノのレッスンというのは、それが当たり前なのだと思って過ごしてきたのですが、三浦先生のレッスンは全く違いました。 モーツァルトやショパン、シューマン、リスト、ブラームスなど、いつどんな曲を持っていっても、隣に並んだピアノで演奏してお手本を示して下さったのですが、それらはどれも素晴らしい演奏でした。 教える立場になった今、生徒から、「どんなに練習しても、なかなか先生のように上手くなれない、先生みたいなピアノが弾けるようになりたい!」と思って貰える先生でありたいと、思うのです。