楽譜に関するコラムで書いたように、現在の私にとって、バッハと向き合うのは幸福な時間ですが、正直なところ、以前は「受験やコンクールの課題になっているから仕方なく練習する作曲家」という感じでした。

 ピアノの道に進もうと、専門的なレッスンを受け始めた時、まず最初に与えられた課題がツェルニーの30番練習曲、賛美歌、そしてバッハのインヴェンションとシンフォニアというものでした。 レッスンで、バッハを演奏する際には、何度も注意されたものです。 「バッハの時代はピアノじゃなくてチェ
ンバロだったの。 だから、バッハを弾く際には常にチェンバロの響きをイメージしながら演奏しなさい」と。 ピアノとチェンバロは、鍵盤楽器であるという点では兄弟の関係であるといえますが、その構造は全く異なります。 チェンバロの「良い響き」と、ピアノの「良い響き」は全く違うのです(ただし、中にはチェンバロをイメージした方が良い作品もあります)。

 先の体験から、「バッハ=美しくないもの」という図式が成立していたので、レッスンには「好きな曲を持っていく」というスタイルだった大学時代は、自然とバッハと向き合う事がなくなっていたのですが、4年生になった時、あるコンクールの課題曲になっていた事で、どうしてもバッハの平均律クラヴィーア曲集を弾かなければならなくなりました。 一念発起し、楽譜を引っ張り出したバッハでしたが、レッスンを受けて印象が一変しました。 「歌って良い(歌わなくてはいけない)」、「色々な音色を使って良い(色々な音色を作り出してコントロールしなくてはならない)」。 過去の呪縛から解放された途端、その音楽の魅力に憑りつかれてしまいました。

 バッハは、インヴェンションとシンフォニアの自筆清書譜(1723年)の序文に、曲に取り組むにあったっての注意点を挙げていますが、その中でこのように書いています。 『何よりもカンタービレ奏法を会得すること』と。 つまり「歌って弾く」事を求めているのです。 歌うということは物理的にレガートの演奏法を確立するという事のほか、息継ぎや、曲の区切り方などを、しっかりと意識する事を指しています。

 確かに、バッハをモーツァルトのように、ショパンのように、ラフマニノフのように歌って弾く事は許されません。 バッハに限らず、どの作曲家の作品を取り上げるにしても、様式感を踏まえた上で演奏されなくてはなりませんが、無限の表現力を秘めた現代のピアノをいう楽器で演奏している、という事を忘れてはならないと思います。 歌って弾く事は、バッハの様式感を冒すものではないのです。
楽譜に関して ≪ ≫ ツェルニーの練習曲
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