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「テクニック」というのは、指を動かすというメカニックな面だけを指すのではありません。 技術を磨くだけではなく、音楽性も養わなくてはなりません。 「音楽的」という言葉は、「あの人の演奏はとても音楽的だった」、「指は廻っているけれど、音楽的ではなかった」という風に使われますが、「音楽的」とは、簡単に言ってしまえば、伝統の上に則っているか否かかという事です。 バッハとモーツァルトでは、ショパンとリストでは、メンデルスゾーンとラヴェルでは、音の出し方、歌わせ方など、音楽の作り方が全く異なります。 ショパンの作品でも、初期の作品と後期の作品を同じように演奏する事は出来ないのです。
このような事を書くと、身構えてしまうかも知れませんが、何も特別な事ではありません。 サッカーやバレーボール、野球などにルールが有るように、音楽にもルールが有るという、ただそれだけの事です。 スポーツのルールのように明文化されているわけではありませんが、確固たる様式感が存在します。 それは、沢山の曲を学習しながら、一つ一つ積み上げる事によって、身に付けていくものなのです。 「個性」は大切ですが、それは理性の中に置かれる事で初めて輝きます。 「個性」というのは、何をやっても許されるという免罪符ではないのです。 テクニックと解釈は、どちらかが欠けても意味を成しません。 理想とする音楽がしっかりとイメージ出来る事と、それを体現するだけの技術、どちらも大切なのです。
フランスでは、音楽院(芸術院)の事を「コンセルヴァトワール(CONSERVATOIRE)」と呼びますが、これは、「保存する(CONSERVE)」という言葉から派生したものです。 芸術というものは、ある日突然に産み落とされたものでなく、伝承されていくものなのです。
私は幸運にも、現代における最もバランスの良い音楽を学ぶ事が出来た、と自負しています。 ささやかながら、その「伝統」を次の世代に伝えていくためのお手伝いが出来ればと思っています。 |